香道を教えていると、時々考えることがあります。
知識は、すべて文字にして残せばいいのだろうか? と。
私はこれまで、講義のためにたくさんの資料を作ってきました。
香道の歴史や文化、香木について。
初めて学ぶ方にも分かるように、できるだけ整理して、言葉を選んで。
書いて消して・・・言葉の意味を考えながら。
今でこそ、文章を整理するための便利な道具もありますが、以前はひとつの資料を作るだけでも、かなりの時間をかけていました。
何を入れるか。
何を削るか。
どこまで説明するか。
そして、何より大切にしてきたのが、
「これは、本当に文字に残してよいものなのか」ということでした。
おそらく10年近く前に、何かのきっかけかでお家元と話をしていた時のことが、今も心に残っています。
「これは、確かなものなのか」
「私(この立場にある者の意?)が、伝えてよいものなのか」
ご自身が資料を作る際、不安なものは国会図書館まで足を運び、実際に確認できたものを使うようにしている。
そのようなお話をされていたと記憶しています。
とても穏やかな物腰で話される方です。
けれど、その言葉の奥には、伝統を預かる者としての厳しさがあるのだと、私は感じています。
香道の世界には、長い年月をかけて学び、伝えてこられたたくさんの師範がいらっしゃいます。
その中で、若くして家元という立場を担い、伝統を受け継ぎながら、同時に現代に伝えていく。
その仕事は、きっと外から見える以上に慎重で、ご家族に支えられながらもご自身で判断していかなくてはならないことの連続だったのではないかと、いまさらながらに思います。
私は、その姿を見ながら、
「伝統を守るということは、ただ昔のものをそのまま保存することではないのだ」
とその時から感じるようになりました。
当時はその意味も良くわからない状態でしたが、今思い出されるということは、私の中での変化があったということでしょうね。
受け継いだものを、何が確かなのかを確かめながら整理し、必要なものを残し、次の世代へ渡していく。
そこには、静かな闘いのようなものもあるのかもしれません。
香道は、とても長い時間をかけて伝えられてきた世界です。
すべてが文章になっているわけではありません。
資料には、ひとつの言葉や、いくつかのキーワードだけが残されている。
その先は、師から弟子へ、稽古の中で伝えられていく。
私はそこにも、意味があるのだと思っています。
だからこそ、弟子にはできるだけ多くのことを知ってほしい。
歴史も、文化も、香木のことも。
学んだことを自分の中で咀嚼して、自分の言葉で誰かに話すことも、学びの一つだと思います。
けれど、
「自分が学んだこと」と「そのまま外へ持ち出してよい教材」は、同じではありません。
自分の中で理解し、自分の言葉で語ること。
誰かから受け取った資料を、そのまま第三者に渡すこと。
それは似ているようで、違うものです。
特に今は、SNSやウェブサイトを通して、一度公開したものが瞬く間に広がっていきます。
だからこそ、資料を作る側だけでなく、受け取る側にも、少しだけ意識してほしいことがあります。
「これは、どこから来たものなのか」
「誰が、どんな思いで作ったものなのか」
「自分は、それをどこまで次の人へ渡してよいのか」
ということです。
これは、何もかも隠しておきたいという話ではありません。
むしろ逆です。
大切に伝えたいからこそ、簡単には公開しないものがある。
私は、そう考えています。
そしてその重みをちゃんと伝えていけているのだろうか?と悩みます。
香道では、香りを「聞く」といいます。
目に見えないものを、ただ知識として覚えるのではなく、自分の感覚で受け取り、感じ、考える。
その時間もまた、学びの一部なのだと思います。
文字にできるもの。
文字にしないもの。
知識として渡すもの。
稽古の中で伝えるもの。
その境界を考えることも、伝統を次の人へ渡していくための大切な仕事なのかもしれません。
便利な時代になりました。
情報を整理することも、文章にすることも、以前よりずっと容易になりました。
けれど、
簡単に文章にできることと、簡単に外へ出してよいことは、決して同じではない!!!
資料は、あくまでご自身の学びと稽古のためにお渡ししているものです。
第三者への使用・配布・掲載については、必ず事前にご相談ください。
資料一枚の向こう側には、それを調べ、考え、選び、書き、残してきた人の時間があります。
そして、そのさらに向こう側には、何百年という時間をかけて伝えられてきたものがあります。
私自身も、その流れの中にいる一人として。
これからも、伝えるものと、伝え方を慎重に選んでいきたいと思っています。
香道を学ぶということは、知識を増やすだけではない。
何を受け取り、
何を自分の中で育て、
そして次の人へ、どのように渡していくのか。
その姿勢まで含めて、学びなのだと思うのです。
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