私にとって、最初の香りはいつも “音” と一緒にありました。
まだ幼かった頃、父の稽古部屋にはいつも香が焚かれていました。
父は三味線の師範で、日々のお稽古の際には欠かさず香を炷てていたのです。
畳の匂い、三味線の糸がバチで擦れる音、そしてふわりと漂う香の煙。
扉をそっと開けると、すでに部屋の空気は“静けさ”で満ちていて、
その空間に一歩足を踏み入れると、どこか背筋が伸びるような、不思議な感覚に包まれました。
幼い私は、香りの意味も名前も知りませんでしたが、
「この香りがある時には、真剣な時間が始まるんだ」
そんなふうに、体のどこかで感じ取っていたのだと思います。
やがて母が香道を習い始め、家の中にまた違う“香りとの出会い”が訪れます。
静かな部屋で香炉を手にする母の横顔は、どこか神聖で、近づきがたいようにも見えました。
香席で当たりを出すたびに、誇らしげに私にこそっと自慢していました。
何となく、香はそんなに難しいのかしら?と感じたひとときでした。
でも、香りは決して難しいものではありませんでした。
そっと漂っては、心を落ち着かせてくれるもの。
言葉よりも静かに、優しく心に届くもの。
そんなふうにして、私の中で「香り」は、
いつも大切な人の姿や音、空気とともに、ゆっくりと根を下ろしていきました。
何より、その香りがあるだけで心が落ち着くのを感じるようになっていきました。
そして今、大人になってからも、心に深く残っている香りがあります。
それは、京都にある匂い袋の専門店の香り。
西陣織で丁寧に仕立てられた、干支や季節の花、吉祥を象った型に、
そっと忍ばせるやわらかな香りです。
手のひらに乗るほどの小さな匂袋もあります。
手にした瞬間、その香りは不思議と記憶を呼び起こします。
初めてこの香りを聞いた時の、あの日の空気、一緒にいた友達の声。
どうしても2匹欲しかったので友達にお金を借りてまで買った・・そんな自分の心の動きまで、まるで封じ込めていたかのように。
そのお店には何度も足を運んでいます。今回の旅行でもきっと足を運んでしまうでしょうし、その中身(香原料)の秘密を探りたい気持ちになるかもしれません。
でも、お気に入りの柄やなにかを探しに行くというよりも、
その香りに、私自身がそっと心をゆだねたい……が本音です。
季節が巡り、ふと立ち止まりたくなる時。
私はその香りに会いに、また京都を訪れるのでしょうね。
香りは、目には見えないけれど、
記憶や想いと深く結びつき、時に心をやさしくほぐしてくれる力があります。
あの日、父の稽古部屋に漂っていた香り。
母が静かに香炉を整え炷いていた香り。
そして今、私がふと立ち返りたくなる香り。
それらはすべて、私の心の奥でそっと息づいています。
ここが私の基本。
そんなことをふと思い出しました。
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